レイキ∞ANKH∞ ~ 日々の雑感 ~
ANKH~アンク~
今年もどうぞANKHを宜しくお願いいたします。
去年は大変な年になりました。
2011年を表す言葉が「絆」という事でしたが
今年は・・・、私の中でもう決まっています。
「希望」
他に無いでしょ??(笑)
希望と言うと、少し控えめな望みという感じですが
この「希望」は違います!
確固とした望み。
感じとしては
偉大なガンジーとかダライラマが抱いている
「希望」なんです。
叶わなくても抱き続ける、確信を持って静かに突き進む、
そんな力を引き出してくれる「希望」です。
「希望」を抱き、動き出しましょう。
皆様にとって この上なく素晴らしい一年になります様に!
沖縄へ行ってきた。約10年ぶりの沖縄。
沖縄に行ったときは、必ず行かなければならない場所がある。
「平和の礎」
私の祖父は、終戦のわずか6か月前に招集され沖縄で命を落とした。
わずか33歳で、幼い子どもを3人も残して。
招集が遅かったのは、小学校の先生をしていたからだと、生前祖母から聞いたことがある。
しかし、祖母は戦争の話をしたがらず、殆ど私たちに何も語らないまま、18年前に他界した。
祖母が他界したとき、仏壇の中から祖父の戦地からの手紙を見つけた。
それは、何かの切れ端に書かれたもの。
急いで書いたことが分かるものだった。
自分のいる部隊は、非常に厳しい状況であること。
これが最後の手紙になるであろうこと。
通帳の番号を記しておくと、口座番号の記載もあった。
そして、子ども達のことを頼むと。
それを見つけたとき、涙でまともに読めなかった。
平和の礎で名前を見つけ、祖父に挨拶をした。
「ここに来たのは2回目だね。」
すると、若いままの祖父が現れた。
祖父は泣いていた。
「まだ死にたくなかった。」
「子ども達を大きくなるまで見届けたかった。」
「孫だって抱きしめたかった。」
私も泣いた。
「私もおじいちゃんに生きていて欲しかったよ。」
祖父の無念さがたまらなく辛かった。
自分のことを「忘れないで欲しい」と。
暫く、祖父のエネルギーと一緒にいた。
祖父が笑ってくれたように感じた。
実家に帰ったとき、あの手紙をもう一度読もう。
戦後、祖父の同僚がくれたという手紙も読もう。
調べられるだろうか。祖父がどこでどんな風に最期を迎えたのか。
次回の沖縄訪問では、当時の祖父の足跡を辿る供養の旅ができたら思う。
皆様 如何お過ごしでしょうか?
8カ月。長いようで短い? 時間
その間私は何をしていたんだろうかと考えてみた。
何もしていない。本当に何もしていないのだ。
楽しいこと沢山あったのに・・・・・・・。なんか空しい。
それは何故かと考えてみた。
それは、何故か生きているという実感がないな~と感じていることみたいで。
それをよーく掘り下げてみたら、今までは何かしらやっていた。 習い事だったりとか、興味のある物に挑戦したりとかしていて、いつもワクワクしていたな~と・・・・・。
今はそれが無い。ワクワク感がないのだ!!
日常生活に追われてしまってすっかり忘れていた。
つまり余裕がなかったのだと気が付いた。
なんだ! そんなことだったんだ~
解れば話は早い。
早速ワクワク感を見つけりゃいいんだな! うん!
最後に私の好きな齋藤一人さんの言葉の中から
「幸せは全て自分の心から生まれる。」
何か問題が起きたとき、これで良くなると思える人は幸せ。
どんな些細なことにも感謝できる人は幸せ。
結局何があっても 幸せと思う人を誰も不幸にすることは出来ない。
悪魔が1000人集まっても そういう人を不幸にすることは出来ない。
なぜなら、もうその人が幸せを作り出す神様だから!
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